『映画の魔』という本を買って読みはじめる。まだ途中だけど、2つ書く。
1つは、hibarimusicのページで、「『ソドムの市』のパラドックス」と指摘されている議論(?)だ。クソみたいなことばかりしていれば、それはそれでそっぽを向かれ、癪に感じるだろうし、かといってクソをコントロールしてはいけないという難しい問題だ。しかも、自意識ではあがってこない、しかし自分を尽き動かすうんこで言えば便意のようなものに対する信仰すら失わなければならない。かといって、起こる出来事をなぞるだけでもない。一体、どこに自分を置いてよいのか?何かにさらわれてしまうように身を投げ出すのも、おそらく違うだろう。きちんとフィリップアンセルモのような強い意志で、立ち向かわなくてはならないだろう。デタラメにしか進み得ないような環境をつくり出すことが一つのバランスだろうか?稲垣足穂に書いてあるだろうか?それとも彼の言っていることを理解したら、どうなるだろうか?やる気がそがれるだろうか?そもそもやる気なんてあるのだろうか?大人の言うことを全体に押し通そうとして、アイディアのない人間にまで浣腸してクソを放り出させ、むしゃむしゃそれをありがたく食べ、うんこが出る瞬間の様子などをクスクス笑いながら喋ってお金を貰っている仕事をしたいと思うなら、宦官みたいに切り落としてから、上も下もすべて抜歯して、嘘ばっかりついて、都合の悪い時は仮病をつかい、相手がすきをみせたらここぞとばかりに演説をぶち、仁義なき戦いの山守組長のようになれば?ばーか。おもしろいこと大募集!匂いのないうんこ食べたーい。全部嘘でぃーす。Qちゃんが骨折していたそうだ。大変だ。Qちゃんの監督のあごひげをファイバーで固めて、骨の代わりに移植して、スポンサー名がぴかぴか光ればいんじゃね?僕は酔っぱらいすぎです。それと、ハタケさんが本に出ていてびっくりした。
うまく僕をコントロールしてくれてお酒が飲める神様を募集!ユーモアがあって、優しく、しかし筋は外さない。ぴったりの人を思い浮かべることが、今、できました。浦安鉄筋家族の作者だ。あーよかった。千葉にいるじゃん。神様の近くにいることができてよかった。ビーサク、これを読んだらタラコを食べよう。さよーならー。こんな日のこんな時間に仕事なんかしたくないという感じの日記でした。くそ!