この前の土曜日に東京国際フォーラムで「スヌーピー ライフデザイン展」が始まりました。僕は本を読みながら、高田馬場から電車に乗って有楽町に行って、作品を見ていました。読んでいた本は、もちろん「スヌーピーと生きる」です。本としては構成があまり練られていない気がしてくる局面をなんとか堪えれば読みこなすことができます。それになんといってもシュルツさんについて書かれた唯一の日本語書籍だもん。読むしかないですよ。僕とシュルツさんの出会いは、広場恐怖症のグループセラピーで、隣の会議室でやっていたアルコール依存症克服グループセラピーの奴らが感極まって一斉に大声をあげ泣き出したので、「うるせえな」「かなわねえよな。これじゃあ広場恐怖症のセラピーを行うことができないぜ」「やっちまうか」「おう」といった感じで、二人でカチコミをかけてからの親友。もちろん2対50の喧嘩の勝敗はあっさりとつきました。ボコボコにされて、シュルツさんと体を引きずりながら公民館を出ました。そんな嘘のことを考えていると有楽町に到着します。俺が作品を見ています。この展覧会の見所はスヌーピーです。スヌーピーが置いてある。置き方が変わっていて、通常の展示に訓練され馴らされた我々の視線の角度を変え、我々に新しい眼を獲得させるのではないか?見所は、僕が会場を歩いているときにシュルツさんとチャネリングによる会話に成功したんですけど、その会話に登場したシュルツさんの主張が「女なんてケツアルしたら一発だよ。乱れまくるからさ。女の子が恥ずかしがってケツアルできないっていう人は、一度、女の子のケツにアルコールをいれてごらんよ。もう女はやみつきになってケツアルから離れられなくなる」。ケツアルはもちろんケツからアルコールをいれることらしいです。