おす。日記です。髪を切りたいが調理師免許と同じく、美しくいかした髪型にする気のない理髪師免許を持ったでもしかカリスマヘアデザイナー君は道路にうつぶせに寝転ばせ、歩道の縁石をくわえさせて後頭部を踏み付ける刑だな。少し前に書いた自意識に関する重要なことの答が、足穂にあるような気がしてる。ペニスとヴァギナの相対的な円環をブレイクスルーするアニュスの感覚一元論でいけば、自分の意志が偶有的なものでもおぎおぎしないでいられるような気がしてきた。腰を据えて真面目に足穂を読んでおく必要が全人類にあるのではないか?
友人の結婚式に出席した。京王プラザというホテルでやっていた。洋服の青山で白いネクタイを買って首を巻くと肩がこったので、首を巻くネクタイの締め具合を調節しているうちに、友人である新郎の父親の挨拶がかみかみなので、笑いをこらえるのに必死だった。せっかくいい感じの式できていてどんけつどんけつ、締めの挨拶であったのに……。僕は友人の人となり等の説明は熱心に聞き、一緒に出席した友人がふざけるのを叱っていたぐらいであるのに、最後の最後に笑いがとめられず困った。御来賓の皆様の(間)、本日御多忙のところいらっしゃっていただきました、えー、(間)御来賓の(間)皆様の、と、御来賓の皆様が頻繁にループ。死ぬかと思った。メインディッシュ「牛肉のフォアグラとパイで包ンだモノなンです」は俺の口の中に慎重に噛み砕かれた。青酸い滋味がしょう液となり嚥下される刹那に、あなやと心をうつろにするうまさが俺の胸をときめかした。物憎いことには、あとの口腔に淡い苦味が二日月の影のようにほのかにとどまったことだ。この淡い苦味は、またさっき喰べた「サーモンと旬の野菜をオリーブオイルで仕上げたモノなンです」のしつこい記憶を軽く拭き消して、親しみ返せる想い出にした。「牛肉のフォアグラとパイで包ンだモノなンです」はこの効果を起すと共に、それ自身、食べた負担を感ぜしめないほど軽く口の中で尽きた。滓というほどのものも残らない。
以上岡本かのこの素敵な文章でしたー。ほとんど意味がわからないし、大体こういう文章にパソコンが対応していないせいか、変換がいちいち滅茶苦茶になる。これは一つの問題だ。それはおいておき、これだけくどく書く岡本かのこはどうよということでした。以上取急ぎ。