最近バカになっていて、昔勉強したり人から教えてもらって憶えたことと、ある事象を見て考え出したことの区別がつかず、考え出した事柄をまるで発見のように思えるようになった。自分が昔憶えたということを憶えていないのだ。プラトンの想起のような感じだ。想起の漢字があっているか憶えていないが。
例えば昨日、音をリアルにする研究所があって、カナダか何かの研究所なのだがあまりにも音がリアルすぎるので、その音響技術は破棄されたとかいう本当か嘘かわからない話を知って、考えたことは、ヒップホップの人がよくこっち側に語りかけてくることがある。それは俺の頭がちょっとアレとか、電波受信機が宇宙人によって埋め込まれているという事実とは関係なく、「Yo!くそつまんねえ日常生きている気分はどうだい?」とかである。CDを聞いていると「あ、これは俺に話しかけているな」と気付く瞬間があるのだが、そういう時は、前述の技術を使ったとしても、ラッパ−が俺の目の前にいるかのようには感じは全然しないだろう。ただ単に「あ、俺に話しかけているな」と思うだけだボヶ。全然リアル(ここではまるで近くにそのラッパ−がいて話し掛けてくることを意味)じゃねえ。CD回転してるだけ。しかし、(ヒップホップはリアルなはずなのに)と深沢風に思って、耳をすませてみると(ちなみに「耳をすます」という本の黄色い表紙怖くね?紫色か何かで坊主が描いてあるやつ)、(あ、やっぱり)と思うふしがあり(これだからヒップホップはリアルだ)と思った。(だから、ヒップホップはリアルな音楽というのだ)と思って、うれしくなった。そのリアルな部分とは、電話の録音とかだ。よく電話とか留守電のメッセージとかがヒップホップには挿入されているが、そのいかにも電話ごしのノイズ(?)にも関わらず大変リアルに感じるのである。そのCDを作るために、その電話をかけていたとしても、こっちに向かって話し掛けてくる部分よりは、断然リアルに感じるのである。おそらくこれはフィクションというものと関係しているのである。だから、音に関しましてはリアルな感じは、きれいでまるで空間的に自分と同じ位置をしめているということよりも、なんか街の雑踏とか電話のノイズとかでなんかもうぐっちゃぐちゃになってた方がリアルに感じるものである。それは、音が発生しているものが、記録媒体だからかもしれない。つまり、俺のディスクマンをかくして、ジャックからスピーカーに繋いで、俺は独りまっくらな部屋で前述のカナダの技術できいたら、「すごい有名なラッパ−がこの部屋の中にいる!!」って思うかもしれないということだ。
だが、こんな話の方向はつまらないので、やはりフィクションというものと関係しているのではないかと思いたいのである。
というようなことを考え、やっぱ俺はすげえと思ったのだが、なんかどっかで聞いたことのある印象がぬぐえない。いろんなものの中途半端なつぎはぎだ。あとフィクションでおもしろいのは、今部屋のいたるところに、一色さえの顔写真を貼っているのだが、目がこっちを見てるので、すべてハサミでぐりぐりして目だけ潰した。だってさえがこっち見てるんだもん。あと、ラッパーは僕に話し掛けないでほしい。
あと、ソウルとカリプソだからソカっていうことを知った。友人のdee8君が好きだと言っていたからテレビを見ていて説明をしているとき、チャンネルをまわさずに見た。ドラゴンとクエストでドクとか言っているのは日本人だけかと思っていたので、他の言葉を喋る人でもこういうことをしているということを知ってちょっと世界は俺には狭っ苦しいなあと思った。