kenma2005-06-30

俺はオタクもサブカル野郎も大嫌いだ。
そこで図を描いてしめしてやったので見てほしい。
まず、この世という海があるとする。そこに、円筒系の網を沈める。
沈める位置は、ピタリとこの世で子供という保護される領分と重なる。その網の中で、まるで原子の周りを飛んでいる電子のごとく、縦横無尽にヒュンヒュン飛んでいるのが、オタクだ(赤い線)。他方、網の目が粗いので、時折そこを抜け、外界に触れるが基本的に網の中に戻るという、大人の領域に出たり入ったり遊びをしているのが、サブカル野郎だ。網の中は楽しいことでいっぱい。だから、サブカル野郎はなんだかんだいって、結局網の中に戻って元の木阿弥野郎になる。
死体の写真が好きな奴とか、オタクというよりはサブカル野郎のような気がすることからもそれがわかる。網の外はハードな、気を抜いたらすぐに死ぬ、さらに生き延びてもいずれ死ぬという、終わりの世界が広がっているのだ。学生運動も、オタクというよりはサブカル的な行動と思われる。
オタクは、網の中を自分が運動した軌道すべてで満たすことを夢見ている。だからひょんひょん飛んでいる。サブカル野郎は、出たり入ったり運動が楽しくて仕方がないので、包括的に何かを行うという欲望はあまりない。その一瞬の運動のスリルを楽しんでいる。
オタクもサブカル野郎も、使用済み燃料棒と偽って、どっかの海底深くに埋めたいものだ。
あと、鉄道とSFは、子供の領分でないところに沈められた網で、行動としてはオタク的だ。
それと、これがいいたいのだが、網がないところで、楽しみながら泳いでいる奴がいるが、それは遊泳野郎だ。網というある一定のキャパシティを持って群れることが好きなオタク及びサブカル野郎どもは、軽く広場恐怖症にかかっており、平気の平左で泳いでいる遊泳野郎にやっかみを持っている。だが、遊泳野郎は遊泳しているだけあって話があっちゃこびこっちゃ飛びよくわからない。俺は、サブカル野郎だ。さらに、ホースで西に行くとき、めちゃくちゃ混んでいたムーンライトナガラ号の中で広場恐怖症の発作にかかったことがある。24,5歳で発祥することが多いというから、ドンピシャリだ。hibarimusicが手を握っていなかったら、もっとひどいことになっていたと思う。祝祭主は、酒を飲みながら「おまえバカじゃねえの」と言っていたので、発作が終わったら必ずこいつを殺してやろうと思ったものだ。