昨日は9時から25時までずっとどこかのスタジオにいたので、風邪っぽい。スタジオのブースは冷過ぎだ。あと疲れた。あまり物事が考えられない。わからないことに、「存在感」とか「なぜか惹かれる」とかいって、普通にやばいものに接近する奴がいけないところは、知ろうする動機に価値観がなくて、単に「知ってる/知らない」という非常にざっくりとした「知りたい」発動の価値観に支配されているところだ。わからなくてよいことはこの世にはいっぱいあるし、どうせユーカリを思い出したコアラやアカシアくいてえとキリンが思って目を覚ました途端に終わる世界だ。何の為に知るのか?わからないから知りたい!そんな単純で工夫のない動機を持っているといつしか宅間のお嫁さんになっちゃいますよ。宮崎勤の住み込みお手伝いさんとか。宅間も宮崎も俺から言わせりゃわからねえ。だから知りたい。何を考えているのかそれこそ四六時中一緒にいて、考えを解きあかしていきたい。彼らが考えていることが真理のように思える頃には、そいつも立派なわけわからねえ奴になっているはずだ。だから「わからない」という理由だけで安易に知りにいくってことは俺は超ヤバいことだと言いたいわけ。世の中には、知らなくていいことや、起きなくていいことがたくさんあり、万物が神様になろうと万物精神に誓い日々これ精進していると思ったり、神様が無駄という目的を持って作った事物だなどという考え方は今すぐ捨てろ!そんなものは理解の範囲のうちに収まっている、仏壇の饅頭のようなものだ。もっと恐ろしい何ものをも越えた絶対的な恐怖が実体を持って存在していることを知らなければならない。我々の感情に恐怖というものがあるのは、それこそ「絶対的に恐ろしいもの」の気配を感じた生きとし生ける者としての当然の反応だ。そしていつの日にか絶対的な恐怖実体に我々が遭遇した時、我々の精神は狂っちゃうか我々死んじゃうのだから。だから、今を一瞬一瞬大切に生きなければならない人間だ。人間って本当にすごいよね☆(かなりいい奴っぽいエンディングで更新に軽く成功)。

何時何分
週刊文春の「あの人に会いたい」などで有名な阿川佐和子さんの新作の名前が『空耳アワワ』だって。なんかむかつくけど、怒りって感じじゃなくて、ゲロ吐く前のムカツキとかに似ている感情を抱かせる。何かの本で読んだけど落語家って、楽屋でダジャレとか言うと他の奴に頭はたかれても仕方ないってぐらい、ダジャレってむかつかれるものらしい、というエピソードからもわかるように、むかつく。
しかも、全男性が、マンモス西とジョーにわかれるように、つまりノリちゃん好きか白木のお嬢好きかに別れるように、阿川派か壇派かっていうのはあると思うってことはkenma読者なら賛同してくれるでしょ。僕の頭の中では、壇が阿川をパシリにしてるんだけど(壇はチャッカリビッチだと思う)、漫画「エムブリオ」のエムブリオにおかされれば、壇がおばあさんになって阿川という若若しい元気な杖をついて歩いているのが見えるだろう。僕はどちらかと言えば阿川派だったのだ、今までは。けど『空耳アワワ』。阿川にダマされていたことを知った。