図が2代目が創るラーメン屋。銀座の街のど真ん中ながら、地面を擂り鉢状に掘り、ドンブリを表現。さらに、エコロジー考えて、森と池がある自然環境。上は断面図で、左に樹木が生い茂り、右に擂り鉢の斜面を利用してガラスで区切った池が。店鋪は赤い部分で、水と木どちらもバランスを欠いてはいけないことを表現している(Tの字の縦棒と横棒の接点にスプリングがしかけてあり、どちらかに片寄ると店から落ちるのである)。下は上から店を見た図です。明日からはぜひ普通の日記をつけたい。

2ー3ー2.は、ただ新しいだけでしょうか?2ー3ー1.は正しい態度のような気もしますが、現在を「チューリップの」に限定しているような気もし、現在の自由さが失われるような気もします。かといって、変化することを意識した時点で、2ー1.のようにいくのは難しい。方法は、Aを対象化せず(つまりBのビジョンを先に思い描くことなく?)、Bを遂行していくこと?だんだん怪しくなってきました。

例えば、何を例に思い浮かべながら考えるのか。AやBを芸術史の**主義のあれやこれやにおくと、はまりそうな気もしますが、じゃあその時、「Aを対象化せず(つまりBのビジョンを先に思い描くことなく?)Bを遂行する」って一体何?食べ終わる頃、ラーメンから芽が出て、少し待つと葉が出てくる。その葉を摘んで乾かして、紙で巻いて吸うと美味しい、とかいうようなことだと、非常に都合がいいとは思いませんか?

ただ、こういうことも言える?つまり、時間的な経過は意識しなくとも、変化する?つまり、人間が年老いていくように???年老いて行くことは変化ではあるけれども、そのことは価値を変えることかどうか???価値を追加していくことかどうか?