前の日記の続きですが、見つかりましたッぁぁぁ!!!!
見つかった時には久しぶりに涙が出てしまいましたよ。正月にジャイアントロボ見て以来の涙。あふれて海になっちゃって、ティーパーティ。やった!至福である。不幸が多いと幸福も多いってこと、わかっちゃった。
で、二つの更新だ。まずは、中田から。
中田が格好いいところは、ルックアップっていうんですかね、一旦止まってフィールドを見渡している時の首の動きと顔、特にその視線だと今日思った。首を振る定点から定点、この定点の時の表情は遠くを見ているが、首から下のボールをキープする行き届いた神経が表情に現れて、まず格好いい。しかも、その定点と定点の間にも情報を収集しつつ、それは定点時の対象をより把握する仕方とは異なって、取急ぎ捨てるような、情報として価値がないかのような(それは定点に集中するためだ。2つの定点の情報をより早くするために、定点間にある情報は対象化しない)見方をするが、定点に戻ったか、戻る一瞬前なのか、その敢えて対象化しない間にあった情報から、何か有益なものは中田かどうか(ダジャレ)、つまり外的なものへの視線から内的なものへの視線、というか記憶か?へ瞬時にうつれるような緊張感をかもし出しているのである。それが証拠に、定点を見た後、本当に少し間があって、定点間をまるで発見したかのような驚きの表情も含め、見返したその瞬間パスだもんな。かっこいいよなー。だから僕もそれを真似して地下鉄の狭い階段を歩く時は、そうしてる。
つまりまとめると、中田には、1.足下及びボールを奪おうとする近くにいるおっさんへの視線、2.遠くの定点を対象化する視線、3.定点間の対象化しなかった情報への内的(?)なものへの視線の3つがあげられるからかっこういいのである。あげられるからかっこういいというのは変だが、それは、女のようなつっこみだ。
そう、kenma読者の男性諸兄が常に腹を立てている「じゃああたしのどこが好き?」という女が必ず出題する愚問。好きだから好きなんでス。スを片仮名にして落語家風にしてやったよボケ。これには皆さんどうお答えになっているのですか?僕はとりあえず焦って答を出しますが、怒りを買うことが多い。そういう意味では俺は細木数子だなあ。
二つの更新だったが、もう一つ書くことを忘れたので、とりあえず一つの更新でおさらばい。

別のことを思い出したというから書く。子供の頃、一番格好いい国旗はスリランカだったのだが、スリランカのことなど何も知らないままここまで来てしまったなと思いながら、今日の昼スリランカのカレーを食べた。昨晩は、高田馬場にできた福井名物のソースカツ丼のお店(1杯390円)に行ったがまるで無駄だった。大阪のクシアゲのうまい店のような感じの衣のつき方に甘くてさらさらしているソース……。米も固くてジャンクでとてもうまいが、家に帰って思い出すとすぐには食べたくならない感じだ。やはり横のたどんに行きたくなるような気がする。だがそれも食べたばかりだったからだろう。
福井名物ということで、寺やカニのスチールがでんと店内にはってあった。別にカニは出ないので本当にがっくり。しかも、福井名物というのは、福井以外の地では、別にウリにならないと思う。福井に興味があって福井に訪れた時、福井名物と書かれていたら「お」と思うが、ここは銀座の柳揺れる天下の東京である。中央たる都、自身以外がすべて地方に見えてしかたない砂上の楼閣から見渡せば、それでも各地方のイメージには差がある。果たして、岡山名物と福井名物と言われて、別にどっちでもよい。沖縄名物になるとちょっと「お」となるが、福井って言われても、イメージがわかず、何も期待されるものが正直ない。しかも、もっと非ドイことを書けば、福井は地味というイメージを仮にもったとしよう。すると、地味なものしかない中で名物と言われても、全国レベルで言えば、「ああこの程度スカ?」レベルなんじゃねえの?と思っちゃうかもしれなかったりして。東京都の国分寺市の名物がウドというのと同じだ。一切感情に訴えかけない。仮に僕が国分寺市生まれだとしてもだ、一切感情が動かないだろう。なぜ僕が国分寺に詳しいかというとそこで育ったからだ。僕は小金井の病院で生まれ、2歳か3歳ぐらいまで小金井に住んでいた。当時一緒に遊んでもらっていたお兄さんやお姉さんはもうそこにはいない。なんかこの事実は怖ええ。僕が住んでいた団地の記憶ってホントウは捏造なんじゃねえの?こういうことを考え出すと、漂流教室のやばいムカデさんのことを思い出してしまい、おちんちんの辺がフワフワしてき、福井やスリランカに一度いってみたいものだなあ。福井もスリランカもダーイスキ(はあと)。どこが好きかというと、スリランカの首都の名前が「スリジャヤワルダナプラコッチ」って長くて地理の時間にはずいぶん興奮させられたところと、福井の方は、俺は福岡が好きで名前が似ているから(福と福で福合わせだ。俺とおまえの幸せは色チみたいな?よくわかんねえし、よだれがとまらねえ)。