深沢七郎の人間滅亡の唄を読んだ。これからも自分は勝手にしていたいと強く願う。早稲田の古本屋で購入。場所は、近日俺が金をもって素晴らしいやつはすべて購入する予定なので、教えない。購入後、くそみたいなものしか残っていない状態になれば、教えてもイイと思うが、それまでは、絶対にダメだ。コップに冷えたウーロン茶をいれ置いておき、グラスの表面に浮んだ水滴を撫でて快適だとかぬかしそうな奴らに教えることはできない。その古本屋の前で後輩のチャッピーに会った。チャッピーは相変わらず端正な髪型とよい姿勢で、表情をくずそうとしないこわばりが、常に表情に出ているが、そのような笑顔も素敵だ。コピーしてたと言っていた。
夜、小学校から一緒だった友人の中でもかなりくるくるぱーの部類から電話。左目を右目の前に持って行くとどう見えるかという話や、他の人の見える映像を自分の頭に見えさせるにはどうするか、またどのように見えるのかという話。くるくるぱーに拍車がかかっているが、このくるくるぱーの妹は随分美人で最近携帯電話のCMに出ているらしい。また、俺が6才ぐらいから12才ぐらいのときに通っていた小学校が廃校になるらしい。多摩なのに廃校。校歌に「せんだん」という言葉が出て来たのはおぼえているが、メロディーなどはすべて忘れている。ちなみに、せんだんというのが植物だと知ったのは、くそみてえな生き方してろくでもねえこと考えていた5年のときだ。
小学校がなくなるのはいただけねえ。開く予定がない同窓会も、小学校がなければ、開くことすらできない(ような気がする)。会う予定がない友人も、どこかに行ってしまえば、会うことすらできない(ような気がする)。
やはり人間は滅亡すべきなのか(すべきだ)。